鮫鮫テレビドラマ日記

テレビドラマの感想

おちょやん第9週の感想

おちょやん第9週「絶対笑かしたる」

道頓堀にもどってきた千代。
劇団への参加を辞退した千之助と天海一座を呼びもどそうとするお話。

少年漫画のような展開ですね。
つぶれかけた部活動の部員を集めるため奔走する。スラムダンクとかROOKIESみたいな感じです。団体競技には鉄板の流れ。

内容的には第7週や第8週ほどの感動はない。
道頓堀が時間経過をへてどう変化していたかに描写を費やしていたので、流し回だったのでしょう。
これは、おちょやん脚本の欠点ではありますね。基本的にロードムービーなので、場所とキャラの紹介に時間が割かれてしまう。

視聴者を見つめる高峰ルリ子

劇団には、高峰ルリ子という新派出身の劇団員が参加しています。
見目麗しくナルシズム全開であるため、画面に映るたびにカメラを見つめているという特徴があります。

このカメラ目線、NHKが今期放送している『ここは今から倫理です。』でも多様されています。
局全体での制限がゆるくなったのかもしれませんね。ユニークな演出が増えるのは大歓迎。どんどん現場の権限を強くしてほしい。

カメラ目線自体はべつに特別なことではないです。
エンタメ映画の世界では、2016年に『デッドプール』で第四の壁をやぶったことが話題になりましたね。取り入れるのが遅いぐらいです。
とはいえ、日本でも寺山修司が映像作品でよく使っていましたからね。でも、寺山修司はあくまでアートフィルムなんで、エンタメの世界で浸透しはじめたのは最近からだと思います。

なぜ浸透したのかというと、Youtubeやオンライン会議の影響なんじゃないでしょうか。Youtuberはまずカメラに向かってあいさつをするし、会社のオンライン会議でもカメラを見つめて話しを聞いたりしますね。視聴者にとって、カメラ目線で存在しているという事が自然になったわけです。

なので、高峰ルリ子がこちらを向いていてもそんなに不快感はない。(とは言いつつくどい)

新派と家庭

ちなみに新派という言葉は、歌舞伎との比較から生まれた言葉らしいです。歌舞伎の舞台は過去ですが、新派の舞台は現代。そこら辺のくわしいいきさつは次週語られる事になるのでしょう。

第9週が「家庭劇」という言葉で終わりましたが、第10週以降では「家族とは何か」という問いかけへの答えが出されるはずです。結論次第では、おちょやんという作品への期待は一気に失望に変わります。脚本家のうでが試されますね。

ぼくはおちょやんという作品は、日本に根付いている「血縁主義」を否定するドラマだと考えてます。
最近、生活保護の扶養照会が話題になりましたが、そもそも昔は正しかったわけです。行政が支援を想定する単位はそもそも「世帯」であり血縁であって、そうやって行政の負担を減らしてきたわけです。明治時代からずっと続いてきたことですね。
それが批判を受けたということは、世間の風向きが変わったということです。おちょやんはその風を読んだドラマ・・・なのだと思います。

象徴的な存在はテルヲですね。
この作品で、彼がどう扱われるかでおちょやんという作品の姿勢が決定的になるんでしょうね。これまでの日本の官僚主義的な考えを踏襲すれば、最終的にテルヲはなんだかんだ面倒だけど家族で救ってねという扱いになるわけです。でも、そうでなければ最後まで否定されたままで終わる。

鶴亀家庭劇の「家族とはなにか」という問いかけは、千代にとっての「家族とはなにか」という問いかけとつながるはずです。それ次第でテルヲへの接し方も変わるわけで、第10週以降の展開は、まさにこの作品の結論へとつながる第一歩になるわけです。